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管理人のEki-MAJOです。
更新の間が空いてしまい、申し訳ございません。

4月1日、新元号が発表されました。

新元号「令和」について、気になった点がいくつかあったので、記事にしました。

  • 日本の古典(万葉集)からの元号の引用は初めての“新義”
  • 引用箇所と長屋王との関連
  • 女帝問題
  • 今上、明仁天皇と後白河法皇との類似点

まず、元号はこれまで支那の古典から引用されるのが常でした。
元号は、支那の王朝がつけるもので、支那に朝貢する柵封国(朝鮮、ベトナムなど)は支那の元号をそのまま使います。

しかし、日本は大化の改新(乙巳の変)以降、独自の元号を今に至るまで使用しています。

日本がシナの属国でない、何よりの証拠です。

 梅の花

引用箇所は、天平2(730)年正月13日の大友旅人と山上憶良の梅の宴の序文から。

大友旅人と山上憶良は長屋王に仕えていましたが、当時、大宰府に左遷されていました(諸説あり)。
失意を慰めるための、梅の宴だったのでしょうか?

新元号「令和」に秘められた、かもしれない政治ドラマ 冷泉彰彦|NewsWeek


長屋王と言えば、「長屋王の変」(729年)、そして天神様(菅原道真公)以前の、日本最大の“怨霊”でもあります。

長屋王は、藤原氏により自害に追い込まれるわけですが、その訳というのが、長屋王が藤原光明子(後の光明皇后、聖武天皇の皇后、藤原不比等の娘)の立后に反対したからでした。

当時は、天皇の正妃、皇后になるには皇族(それも蘇我氏系の)女性であることが絶対条件でした。

その天皇家と蘇我氏との閨閥に、藤原氏はモーレツな『割り込み』をかけたのです。

(大化の改新(乙巳の変)で滅んだのは、あくまで蘇我宗家の系統で、分家筋である蘇我倉山田石川麻呂(そが・くらやまだいしかわまろ)の系譜は健在でした。蘇我の血が薄い天智天皇は、石川麻呂の娘を2人も妻に迎えているほど。それで生まれたのが女傑・持統天皇と元明天皇の異母姉妹です)

長屋王と長屋王の変とは?わかりやすく紹介!【藤原氏の陰謀】|大人になってから学びたい日本の歴史

しかも長屋王は、天武天皇の孫(母は天智天皇の娘)で、正妻は元明天皇の娘で元正天皇の妹(吉備内親王)です。(ややこしい系図ですね)

ザ・皇族という感じで、何かあったら(長屋王や彼の息子は)天皇になっていたとしかもおかしくないほどの人物でした。

光明皇后や兄の藤原四兄弟(藤原四子)にとって、非常に邪魔な人物でした。
だから”消された”訳です。

そのわけは、光明皇后が産んだ子供で無事に育ったのが女子ひとりだけ(安倍内親王、後の孝謙女帝)だったからです。

藤原氏は、光明皇后を臣下出身初の皇后に格上げし(当時は、皇族でないと皇后になれないという不文律があったのにも関わらず)、その上で娘の安倍内親王を史上初の女性皇太子に押し上げるのです。

この時代を舞台にした歴史小説に永井路子先生の「美貌の女帝」(文春文庫)があります。

新装版 美貌の女帝 (文春文庫)
永井 路子
文藝春秋
2012-12-04


最後の蘇我系女帝である元正女帝を主人公に据え、歴史の悲劇に迫った傑作だと思います。非常に読みやすいです。

(「美貌の女帝」のタイトル通り、元正天皇は史書に美貌であったと明記されてる女帝の一人。もう一人は推古天皇)

長屋王の祟りか、無実の罪に陥れた藤原四兄弟は天然痘で次々と病死。

(祟りの下し方が実に的確!祟りを的確に下さないと「祟り神」とは呼ばれません(笑)。でないと、単なる荒ぶる神になっちゃいます)

医学が十分に発達していない当時では、伝染病で立て続けに人が亡くなるのはよくある話だったとしても、事件の張本の4兄弟全員が亡くなるのには、当時の人々は怨霊の祟りと思ったはずです。

長屋王を密告した下級役人は、事件の十数年後に長屋王に仕えていた男に殺される。周囲は、誣告(ぶこく=虚偽の告訴をする行為)した自業自得と実に冷ややかな反応だったそうです。

長屋王に自害の命を下した聖武天皇は、真面目で繊細なためかノイローゼとなり、気丈な光明皇后も思い悩むことが多くなる。不眠症にもなったようです。

結果、建立されたのがあの奈良の大仏です。宗教(仏教)に、心の救いを求めたわけです。

この時期に光明皇后の命により、作られた仏像で有名なものが興福寺(藤原氏の氏寺)の阿修羅像などです。言わずと知れた天平美術の傑作のひとつです。

 阿修羅像
 阿修羅像 興福寺蔵

実は、この傑作は、光明皇后の”罪悪感”から生みだされたものでした。

罪を懺悔すれば救われるという当時の教えをそのまま仏像で立体曼荼羅を表そうとしたのが、阿修羅像をはじめとする興福寺に残る仏像群の真相だったようです。

(なので、阿修羅は少年のような純粋な仏の教えを求める目をしている。光明皇后の早世された皇子の面影を宿しているのかも、という説もあります。思えば、光明皇后様も不幸なお方でした)

光明皇后の罪滅ぼしの行為が天平美術の傑作を後世に残してくれたのは、感謝すべきことかもしれませんが、聖女伝説は割引いて考える必要があります。

光明皇后にまつわる数々の伝説は、皇后のお得意様の大檀那の“お寺さん”が広めた一面もあるのです。
お寺さんとしては、大事なスポンサーを悪くは言えませんがな。

奈良の都は昔の話ですが、皇后が信仰したお寺は未だに健在なんですから。

(今は、ネットのおかげか、「聖女伝説」は通用しなくなってますけどね。マザー・テレサも裏の顔が暴露されてしまいました)


古代の女帝たち
  • 推古天皇 (在位592~628年)
  • 皇極・斉明天皇 (同642~645年、655~661年)
  • 持統天皇 (同690~697年)
  • 元明天皇 (同707~715年)
  • 元正天皇 (同715~724年)
  • 孝謙・称徳天皇 (同749~758年、764~770年)


女帝のお仕事の目的・日本版って、何?と考えた時、これしかないなと思うのが「ライバルの親王の即位を邪魔する・あるいは(何かの事情で)遅らせる」。これしかないだろう、と思います。

女帝に即位するには、天皇の正妻(皇后)であるか、天皇の娘であるかが絶対条件です。

推古天皇は、当時としては破格の75歳という長寿を誇り、結果、大兄(皇太子)だった聖徳太子(厩戸皇子)は、ついに天皇になれませんでした。(厩戸皇子のほうが先に亡くなられたので)

奈良時代に、これだけ女帝が続いたのは、何故か世継ぎの皇子が早世してしまう、育っても一人という、思わず何かの祟り?と思ってしまう事情のせいもあります。

ライバルの親王の即位を邪魔するという目的から外れるのは、斉明天皇と孝謙天皇ぐらいです。

斉明天皇は、息子・天智天皇(中大兄皇子)が即位するまでのつなぎ役に、重祚(再び即位)しました。

孝謙天皇は、藤原氏の“持ち駒”が他にいなかったので、仕方なく。ところが、大自爆(宇佐神宮信託事件)をやらかしたのは周知の通りです。

孝謙(称徳)天皇とは?孤独な女帝の生涯を分かりやすく紹介!【道鏡との禁断の恋とか】|大人になってから学びたい日本の歴史

孝謙(称徳)天皇の大失敗は、天皇家と天皇家を支える藤原氏の「トラウマ」になったんじゃないかと思うほど。

長屋王の変が、結果として孝謙天皇即位を導いたと思えば、これこそ祟りかもしれません。

孝謙(称徳)天皇の死をもって、皇統は天武系から天智系に移り、結果、登場した傑物が第50代桓武天皇でした。
桓武天皇は平安遷都を決行し、以後、平安京(京都)は永らく日本の都であり続けます。

孝謙天皇以後、江戸時代になるまで、女帝は登場しませんでした。

江戸時代の女帝は、例えば明正天皇は幼くして即位し、父帝が上皇として後見していたり、後桜町天皇は、弟宮(後桃園天皇)が成長するまでの“つなぎ役”でした。

飛鳥・奈良時代の政治力のあった女帝がたとは、事情が多少違っております。


しかし、こうやってみると、光明皇后や孝謙天皇にまつわることには、史上初とつく新義がやたらと多いことに気づきます。

史上初の臣下出身の皇后、史上初の女性皇太子(女性皇太子は、この時が最初で最後)、史上初の強力怨霊・長屋王の霊の出現・・・

今回の退位にまつわる儀式も新義だらけ。

特に上皇様は史上何人もおられるが、上皇后様は初めて。
(あのお方は、立后が出来なかったから、皇太后にはなれないという話もさもありなん)




天皇家や公家にとって、新義は不吉。(くららこと、倉山満先生によれば)

公家たちがあまりに先例にこだわるので、武家にからかわれたりしてますが。

何事も先例の通りに行うのは、「あたりさわりなく無難に過ごす」ための昔の人の知恵なんでしょう。

(無難という言葉は、今は普通でつまらない意味と思っている方もおられるかもしれませんが、もとは難点が無いという意味です)

戦うのがアイデンティティ(存在証明)の武家と戦わない公家とでは、世渡りの知恵が違って当たり前です。

 国民の願望 君の縄

 美智子 般若

やっぱり、安倍さん、このお方たちにすべての不●を押し付けて・・・なぁんて、考えてませんか?

そうであって欲しいです。(笑)

それから、冒頭の梅の花の宴が開かれた場所は、現在の大宰府。
この宴から、約180年後に菅原道真公(天神様)が無実の罪で太宰府の地に流されることになります。

天神、怒りと恵みの神|夢の宮

天神様と言えば、左遷、怨霊、天変地異(落雷)。
なんで、不吉なイメージがこうも繋がるんでしょう?


自分用メモ ~ 新元号に関する期待と不安 ~ 近衛文麿の闇。。。|霊感雑記帳2

野火さんが“視た”ように、今上の生前退位宣言から霊的に東宮の御世が始まっているとするならば・・・。

この世のエネルギーの流れを歪める呪いや陰謀の結果は、どうも千日間(約2年9カ月)が、その効果のリミットらしいのです。満願成就のその時から、約千日間かけてゆっくりと自己崩壊してゆく。

なぜ千日なのかは分かりません。(石の上にも三年の反対?)

(ちなみに比叡山の千日回峰行では、倍以上の7年の歳月をかけて1年目と2年目はそれぞれ100日間という風に、修行がカリキュラム化されています。それだけの時間をかけて、タダの人を“生き仏”(=阿闍梨)に変えてゆく過酷な修行なのです)

こちらのサイトで日数計算してみました。(開始日を含めないやり方で)
日数計算サイト

例えば、マスゴミのディスカウント自民党工作の結果、誕生した民主党政権は3年3ヵ月(約1200日)で自壊しました。
そして、野党勢力は未だに絶賛崩壊中で、自民党の対抗勢力にもならないあり様。

仮に、今上の退位報道が(ヤツらの)満願成就のタイミングとすると・・・

今上の生前退位報道が、2016年8月8日でした。

その日から1000日後が、2019年5月5日
1200日後が、2019年11月21日


何かの偶然でしょうか?今上の退位・東宮の践祚(5月1日)、即位の儀(10月)とほぼ完全にタイムテーブルがあっちゃっています。

マジ?5月でもう時間切れ?!

あ、そうか?!それでナルさん、天皇になれても行きどまりと出たんだ?!ナルさん、無事に即位出来るんでしょうか?

せんでも、ええわ!👹

占ってみた 二人の宮様~チーム・あーや編|夢の宮

やっぱり、安倍さん、東●家を流し●にするつもりだったのか?!さすがの策士。 Σ( ̄ロ ̄|||)

 安倍総理 旭日旗


信じるか信じないかは、あなた次第です。(笑)

(あれだけ秋篠宮家をバッシングする理由がなんとなく見えてきましたね。おのおの方!だまされませぬよう!)


 徳仁 ヅラ

少しも早う、このお方を「令和の帝」とお呼び申し上げたいものでございます。

(令和天皇とお呼び申し上げる時は・・・される時でございますゆえ)

と、“ぶぶ漬け”女官風(?)に締めてみました。岸田今日子様ふうに読んで下さると完璧です(笑)。


(今上が後白河法皇に似てる点は、また後日。長くなりますので)



悪しきものを祓いたまいて、常に正しきことを行わしたまえ



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さまがお幸せでありますように。