こんにちは。夢の宮へようこそ。

管理人のEki-MAJOです。

 

数年前に、このニュースを知った時、何かイヤな予感がしました。

 

高山右近に再び熱視線 没後400年のキリシタン大名…「福者」として年内にも認定へ-産経WEST

 

高山右近は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、切支丹禁教令にも負けず、信仰を貫きましたが、徳川幕府の切支丹追放令により、フィリピン・マニラに追放され、ついにこの地で病没した戦国武将です。

 

 

バチカンが日本の切支丹弾圧の証拠にでも使うつもりか…?とイヤな感じがしていたんですが。

 

長崎の切支丹遺産を世界遺産に登録するためには、弾圧の事実を誇張するためかよ?!

 

 

 

 

虎ノ門ニュースから、大高未貴さんと上念司氏の解説で。

 

 

しかし、日本はむやみやたらに切支丹を禁教・弾圧した訳ではなく、それなりの理由があります。

 

 

その大きな理由のひとつが、九州の切支丹大名や伴天連(バテレン=宣教師)が、切支丹以外の日本人の多くの男女を“奴隷”として外国に売り飛ばしていたことです。

 

日本人の男性は、兵士として優秀で傭兵として重宝され、若い女性はそれこそ“性奴隷”に売られたのです。

(タイで有名な、かの山田長政も傭兵でした)

 

(かの天正遣欧少年使節の4人の少年たちは、ヨーロッパに赴く船底に奴隷に売られた日本人たちを目撃しています)

 

秀吉は自国民保護のために、禁教令を打ち出したのはまったく正しい政策でした。

日本の女性たちが奴隷に外国に売られたならば、日本の人口は減る一方になるからです。

 

 

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天正遣欧少年使節

(左上から伊東マンショ、左下・千々石ミゲル、右上・中浦ジュリアン、

右下・原マルチノ、中央は通訳のメスキータ神父)

 

 

イエズス会は、実にトンデモない組織で、日本で禁教になると、「日本人司祭や信徒を残酷なやり方で殺してくれ」と言っているほど。

 

それで、犠牲になったのが、天正遣欧使節の生き残り・中浦ジュリアンでした。

(逆さ吊りの刑で1633年殉教、2008年に福者認定。残忍に殺してくれと頼んでおきながら、祭り上げる。マッチポンプそのもの)

 

 

こういうイエズス会の“欺瞞”にいち早く気づいた日本人も存在します。天正遣欧使節の脱落者とされるドン・ミゲルこと千々石(ちぢわ)ミゲル(千々石清左衛門紀員)その人です。

ミゲルは切支丹大名・大村純忠の甥にあたり、4人の少年のうちで一番身元が確かでした。

 

ミゲルは現実に絶望して棄教したと言われますが、実は欧州に行く途中の日本人奴隷の悲惨な現実を見て、キリスト教やイエズス会の欺瞞にいち早く気づいた様子です。

 

(遣欧使節の4人の少年たちには、キリスト教の良きものだけを見せるように命令されていたのに、この始末。どんだけ悪いこと、しとんねん?!)

 

やがて学問を究め、無事帰国した清左衛門は、キリシタンになっていない純忠の息子、善前(よしあき)に密かにこう進言したといわれます。

「耶蘇教(キリスト教)は間違いなく邪教です。彼らの目的は日本にこの宗旨を広め、それによって国を奪うことです。」 (その通り!)

 

悲劇なのは、千々和清左衛門は棄教して、キリスト教を弾圧する側にまわっても、仏教側のコミニュティからも受け入れられなかったという現実でした。

 

そのため、「神も仏もない」というニヒルな境地に至ってしまったとか。(まるでリアル眠狂四郎)

 

切支丹側からも、裏切者として襲われたり、ひっそりと歴史の片隅に埋もれて生涯を終えました。

 

そのミゲルのお墓が近年、調査され、ロザリオの一部(諸説あり)が発見されたりしています。

 

天正少年使節の千々石ミゲルの墓続報 出土の歯は25~45歳女性 、ミゲルの妻のものか-クリスチャントゥディ

 

 

何より、面白いのが、かの天草四郎はミゲルの隠し子?!説まであることです。

 

・・・それは1638年であり、ドン・ジョアン・ペレイナの二隻の船の船員が10月20日に日本を出帆して11月4日にマカオに到着した。彼らが島原の乱(1637年12月17日~1638年4月12日)の消息を持ち帰り、マノエル・ディーアス神父が同年12月3日付総長宛書簡の中にそれを写している。

 

有馬のキリシタンはキリシタンであるが為に殿から(注:島原藩主・松倉重政・勝家)受ける暴虐(主に勝家から)を耐えきれず、十八歳の青年を長に選んで領主に叛乱を起こしました。その青年は昔ローマへ行った四人の日本人の一人ドン・ミゲールの息子であるといわれています。彼らは城塞のようなものを作ってそこにたてこもりました。

 

マジか。あくまで伝聞ですが、「ローマを見た少年たち」は切支丹の間で、それほどのアイコンだったのか。

(故・山田風太郎大先生に、ぜひこの説を活かして小説を書いていただきたかった!(笑))

 

(天草四郎には、豊臣秀頼の落胤説もあります。当時の西国の武士たちにとって、アンチ徳川で戦うためには、旗印となるのは豊臣ブランドしかないでしょう)

 

ミゲルの息子でなくとも、親戚の男子が島原の乱に参加しても何の不思議もない。

だって、天草四郎って、こういうことだったらしいです。

 

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個人名でなくてユニット名??

 

 

島原の乱は、重税や切支丹迫害でたまりかねた可哀そうな農民たちの反乱ではありません。

 

日本を二分しかねない、まさに『内乱』でした。

 

島原の乱の最初にキリシタンは寺社を放火し僧侶を殺害した-しばやんの日々

このブログで何度か事例を記してきたとおり、禁教政策はこの地域だけではなく各地で行われていたし、信仰の篤い多くのキリシタンは、迫害を受けた場合に抵抗もせずに殉教の道を選んでいる。なぜ島原・天草のキリシタンは、他の地域のように殉教の道を選ばずに、幕府と戦うことを選択したのだろうか。
また3万7千人とも言われる反乱勢が12万以上の幕府軍と4ヶ月間も戦っているのだが、これだけ長期戦になったのは、反乱勢が大量の武器弾薬を保有していたからにほかならない。では、彼らが大量の鉄砲などを保有していただけではなく、その使い方にも習熟していたのは何故なのか

 

(中略)

 

神田千里氏の著書である『宗教で読む戦国時代』に、当時の記録をもとに「一揆勢」の行動が紹介されているので紹介したい。

「…大矢野村で、大庄屋の小左衛門が百姓ら四、五十人を引き連れて栖本の代官のところに押しかけたことが天草での蜂起の発端であったが、代官のもとに押しかけた百姓たちは、自分達はキリシタンに立ち返る*と宣言したのみで、年貢を減免せよとは言っていない。…この事件についての別の証言では代官自身にキリシタンになるよう迫った、というから、これが百姓側の主要な訴えであったことは確かだと思われる。とすると、年貢の苛酷な取立てに憤った百姓の言い分としては、いかにも奇妙な感は免れない。いったい農民たちは代官に年貢を減免させたいのだろうか、それてもキリシタンに改宗させたいのだろうか。
 また一揆勢は他の村々や周囲の人々にキリシタンになるように迫り、それに従わない村に対しては攻撃を加えた。天草御領村の住民たちに対して一揆は、キリシタンになるなら仲間に入れてやるが、ならなければ皆殺しにすると迫り、住民たちは否応なくキリシタンになったという。(『御書奉書写言上扣』)…
通常の百姓一揆では一揆に加わらない村々に制裁を加えたことが知られているが、一揆に加わることとキリシタンに改宗することは別である。一揆勢が迫ったのは改宗であり、下手をすれば『異教徒』の村を敵に回しかねないことである。なぜ、このように、一揆勢力は改宗にこだわったのか。苛酷な年貢徴収に憤った農民が、信仰を結束軸として立ち上がったという筋書きは、如何にもそれらしくは見えるものの、一揆勢の行動はこれでは説明できないだろう。」(『宗教で読む戦国時代』p.178-179)
*立ち返る:キリスト教を棄教した者が再び信者に戻ること

(記事より一部抜粋)

 

ポルトガルの援軍を待っての蜂起・籠城だったという説もあり、これではもう内乱です。

カトリック国・ポルトガルの後ろには、もちろんイエズス会が控えています。

 

イエズス会日本管区長ガスパル・コエリョは秀吉の禁教令発令後、九州の切支丹大名たちに武器の確保と蜂起を呼びかけており、そして、島原は切支丹大名・小西行長の所領でした。

 

島原の乱で蜂起した牢人衆は、その武器弾薬を活用した可能性があります。

 

対する幕府の対応や戦後処理が、苛烈極まりないものになったのは致し方ない一面もありました。

 

善良な切支丹は犠牲になったかもしれませんが、結果、守られたものはもっと大きかった。

 

 

我々はもっと、国を守ってくれたご先祖様たちに感謝すべきでしょう。

 

 

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京都・豊国神社(ご祭神は豊臣秀吉。豊国神社は京都の他に名古屋、大阪にもある)

 

日光東照宮(ご祭神は徳川家康。日本各地に東照宮はある)

 

 

 

文化庁は、イエズス会の犯罪(日本人の人身売買や日本の寺社の破壊、日本への侵略計画)を世界遺産の登録内容に

明記せよ!

 

 

官邸メール:http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html

自民党メール:https://www.jimin.jp/voice/

電子政府窓口:https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose

 

 

何故に、ユネスコが反日かと言えば、ユネスコはイエズス会の傘下組織だからなのです。

そして、原爆が広島と長崎に落とされたのも、イエズス会の“復讐”でした。

 

是非に読んで頂きたい。

ユネスコはイエズス会の傘下組織-さくら子

 

イエズス会-さくら子

 

 

それから、慰安婦問題が世界中に飛び火したのは、カトリックが絡んでいるとは、ジャーナリストの水間政憲さんや大高美貴さんも指摘しています。

(日本でも西早稲田2丁目…が関係していますね)

 

宣教に失敗した時から、カトリックとイエズス会は『日本の敵』であります。

 

 

 

 

 

近年、こういう事件もありましたね。

カトリック教会の性的虐待事件

 

事件をもとにした映画も作られたほど。

映画は傑作で、2016年アカデミー賞6部門にノミネートされ、作品賞と脚本賞を受賞しました。

 

 

 

 

事件を隠ぺいしていた、ボストン教区のバーナード・ロウ枢機卿は、次期法王の座さえ狙っていたと言われますが、この報道で事件が表ざたになり、その野望は潰えました。

 

更には、前法王の生前退位まで招いた大事件でした。

なぜなら当時のベネディクト16世は、枢機卿時代に司祭の暴行事件隠蔽にも関わっていた疑いがあったからです。

 

結果、誕生した法皇が現フランチェスコ1世。(偶然ながら天草四郎の洗礼名もフランチェスコ(ジェロニモ説も)。今年2018年は、天草四郎没後380年後だそうです)

 

カトリックの神父や司祭は、生涯独身を義務づけられているがゆえに、同性愛者が目指す職業と欧米ではいわれています。そこで犠牲になったのが、貧しい家庭の少年たちでした。

 

(マトモな司祭なら愛人を囲う。ルネッサンスの頃と何の変りもない)

 

 

何故かカトリックの欺瞞には、『少年』や『元少年』が絡む。

 

欺瞞にまみれた《真実》を見抜くには、少年のように濁りのない目が必要ということか。

 

カトリックやイエズス会の犠牲になって、人生を翻弄された少年や元少年たちの怨念が動いているような気さえします。

 

 

 

そうそう、幻といわれたこの絵も発見されましたね。天正遣欧少年使節の主席正使・伊東マンショの肖像画です。(2014年イタリアで発見)

 

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伊東マンショの肖像 ドメニコ・テントレット画 ミラノ・トリブルツィオ財団蔵

 

確かに日本人の顔だ。日本を出発したのは13~14歳ごろだったから、この絵が描かれた時は16~17歳になっていたか。

 

ベネツィア派の巨匠、ヤコポ・テントレットが注文を受け、息子のドメニコが完成させたと考えられています。

 

 

 

 

 

遣欧使節の4人の少年たちが帰国後、秀吉の御前で演奏したのはこの曲。(ジョスカン・デ・プレ作曲「千々の悲しみ」)

 

日本で初めて演奏された西洋音楽になります。

 

 

真実が、日のもとに晒されますように。

 

 

 

悪しきものを祓いたまいて、常に正しきことを行わしたまえ

 

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

皆さまがお幸せでありますように。