こんにちは。夢の宮へようこそ。

管理人のEki-MAJOです。

 

G・Wには、各地で武者行列や鉄砲演舞などの歴史イベントが行われるようです。

有名なものが上田真田祭りに、平泉の春の藤原祭りに小田原北條五代祭りなど。

 

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2017年 上田真田祭りより 真田昌幸役の草刈正雄さん https://yukarino.jp/articles/7616315

 

最近では、主役に著名な俳優を呼んで、盛り上げる祭りもあるようです。良いことです。

(俳優にとっても良いアルバイトなんでしょうね)

上田真田祭りには、旧真田家のご当主も参加されます。

 

武者行列に使う鎧は、段ボールでリーズナブルに制作できるようです。そういう講習会もあります。

手作りの鎧で、地域の人々も子供たちも参加する。なんだかとても良い雰囲気です。

 

こういう祭りはぜひ続けていただきたいものです。

 

ご興味のある方は、観光の予定に入れてもいいのではないかと思います。

サムライに触れるために。

 

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(管理人、一度だけ上田に行ったことがあります。不思議な町でした。真田家がこの地を治めていたのはわずか40年ほど。なのに町は今でも真田一色)

 

 

 そこで感じることがありました。昔の戦争とは一体何だったのでしょう。みんな気が付いていないことがあります。昔の戦争、あれはお祭りです。「戦争とは、残酷なもの」という見方もありますが、お祭りだったのです。

 

(中略)

 

 「戦争だ!」「お祭りだ!」そのような感覚です。「やってやるぜ!」ということで、「えい、えい、おー!」という勝どきをあげるのです。それは恐怖に震えているのではありません。お祭りで神輿を担ぐのに出陣するような感覚です。「ワッセ・ワッセ・ワッセ!」と神輿を担いで行くようなものなのです。
 昔の戦争はお祭りだったのに違いありません。自分は死ぬかもしれません。殿さまのために人柱となって死ぬのです。勝てば相手の領地がもらえるのです。相手をぶっ殺したら、その領地は自分がもらえるのです。勝てば領地が増えて、負ければ自分が死ぬのです。お祭りだから、死んでもよいのです。

 

(中略)

 

 気分が高揚すれば矢がささろうと、刀で斬られようと、あんまり痛くありません。興奮状態で死ねれば最高です。一番いけないのは病気で死ぬことです。三島由紀夫は、「あちこち管でつながれて、鼻からも口からもチューブでつながれて、全身動けなくなった状態で死ぬのは、まっぴら御免だよ」と言っています。

(山梨・武田信玄祭り-『中杉弘の徒然日記』)

 

 

武士にとって、戦(いくさ)は“祭り”だったのかも。確かに『血祭』という恐い言葉も残っています。

 

そして「侍に怨霊なし」と昔から、申します。悲劇の英雄の源義経も、怨霊にはなりませんでした。

 

武蔵坊弁慶のように斬って斬って斬りまくり、最後は立ち往生というのが、侍の理想なのかもしれません。

(ヘタレの私はご遠慮しときます)

 

 

昔はいざ、開戦ということになれば、村の若者で兵士に徴用出来るもの以外(女、子供、老人)は、「逃げるように」とお触れが出されました。

 

兵の兵糧のコメも、ちゃんと買い上げるのです。(なので、「七人の侍」はけっこうウソ)

 

村人は安全な山の上のお寺などに避難して、戦当日はお弁当を食べながら、いくさ見物していたそうです(笑)。

(いくさは、スポーツ観戦かよ・・・(;^_^A)

 

 

日本では、源頼朝公以来、武家による政治は約800年続きました。

 

そのため日本人は、武家以外の農民や町人にも武士の気風や考え方が色濃く残りました。

 

今でも、スポーツ選手を『サムライ』に、なぞらえる考え方とかに。

 

 

 

(サムライに扮したフリースタイルサッカー世界一の徳田耕太郎さんの妙技をとくとご覧あれ)

 

 

武将も神に願掛けて戦うからには、正々堂々と戦いました。

武将が祈る神の代表が八幡神諏訪大明神でした。

 

戦の前に相手方の武将に寝返るよう工作するのは、《調略》と呼ばれ、戦争の一手段であっただけです。

 

(日本型の軍師は、この調略に長けた人を指すようです。竹中半兵衛や黒田如水など。どちらかというと交渉人(ネゴシエーター)タイプで、今でも通用しそうです。ヘッドハンティングの分野などで)

 

土壇場で裏切るのは、あまり歓迎されない。(小早川秀秋のケース)

関ケ原も戦いの前には、調略はやりたい放題でしたが、結局、実力行使でカタをつけました。

 

 

侍は普段から武芸の稽古や、学問の研鑽に忙しいので、そのDNAを受け継ぐ日本人アスリート達は芸を磨く努力家タイプが多くなるのは当たり前です。

(武士の理想像は、文武両道です)

 

 

こういう国民性のおかげか、まさかスポーツの裏でルール改定や審判買収とか、政治力で勝てなくされるというやり方には、考えがとても及ばないんですね。

 

これは、日本人の大欠点かもしれません。自分がやらないから、相手もやらないだろう、と。

 

 

しかし、隣のK国は、日本のようにイザとなったら、戦うという訳にはいかなかった。

支那で新しく王朝が起これば、その王朝は必ず朝鮮半島を屈服させようとする。

 

いかに支那に気にいられるかが国の生存を決めるわけですから、女を差し出すなんて当然でした。

 

朝鮮にとって、(生き残るための)政治の工作が、まず第一でした。

朝鮮は戦争では必ず負けたので、生き残るためには賄賂や女を使うのは当たり前!)

 

こういう工作活動のDNAが、世界中で行われているディスカウントジャパンのロビー活動に活かされているんですね。

 

日韓W杯招致時に、「日本人はFIFAの関係者にボールペンを配っていたが、韓国人は“女”を配っていた」という証言があります。

 

 

「イザとなったら、(実)戦で片をつける」 これが出来た日本人の歴史は、ある意味、幸せでした。

 

現代は戦争の代行をスポーツで行うからこそ、正々堂々と戦わなくてはならない。

スポーツマンシップが騎士道精神のあった西洋以外に理解できるのは、日本だけではないでしょうか。

 

どこかの国は、国威高揚といって、取り返しのつかない『汚点』を歴史に残しました。

(日韓W杯や、滑る妓生のカネメダル)

 

 

現在もラグビーやアイスホッケーは、『戦争』の雰囲気を残したスポーツです。

激しい接触があっても、試合中なら脳内麻薬のアドレナリンがドバーッと噴出されますから、痛さも感じない。

 

だから、真田幸村も一日五回も突撃出来たのでしょうか。

(兄・真田信之の手紙によると、普段は怒ったところを見たことがないくらい温厚な人だったそうです)

 

もうじき真田幸村様のご命日です。(5月7日)合掌。

(最近は“信繁”のほうが、通りがよくなっていますが、管理人は訳あって“幸村”で通します)

 

赤い揃いの鎧は、武田譲りの《赤備え》(真田家はもともと武田家に仕えていた信濃の国衆)。

今でいうユニフォームで、イヤが応にも戦いの気分を高揚させます。

 

 

 

 

1985年NHKで放送された『真田太平記』(原作:池波正太郎)の大阪夏の陣のシーン。

 

草刈正雄さんの真田幸村は、カッコよ過ぎですね。

草刈さん、当時は30代の若さ、本当に男前ですね。惚れ惚れします。

 

『真田丸』より、こっちが良かったのに。(;^_^A

 

負け戦が濃厚となっても、なおも戦う《男気》が、日本人の心を熱くするんでしょうね。

 

まさに「真田、日本(ひのもと)一の兵(つわもの)」です。

 

「関東勢、百万と候え(そうらえ)、男はひとりもなく候(そうろう)」

 

いやもう、シビレるわ。

 

 

討つ者も討たるる者も もろともに・・・

 

悪しきものを祓いたまいて、常に正しきことを行わしたまえ

 

 

父、昌幸は息子二人に、一人には家門を残させ、一人には武勇を残させる。

実に見事な武門の『生き残り』戦略です。(生き残ることが、武家の至上命題)

 

たとえ負けても、武名は残る。永遠に、日本の歴史がある限り。

 

 

 

【おまけ】

 

先日(4/21)、米国のユース・アメリカ・グランプリで15歳の松浦祐磨さんが優勝されました。

おめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映像を見て、驚いたのが、熊川哲也さんを彷彿とさせる高さのある美しいジュテ(ジャンプ)とキレのあるピルエット(回転技)。15歳にして、技術がほぼ完成してる。

 

熊川さんの後を継ぐ、日本のバレエの王子様がついに登場しましたね。(ツバつけとこ)

 

松浦祐磨の経歴やバレエダンサーとしての実力は?受賞歴と今後の活動も-みやもんのまろUP!

 

(ジャニーズ以上に可愛いから、ジャニーズなんざ、もう要らん(笑))

 

 

熊川さんがローザンヌで日本人初の金賞を取った時は、それは衝撃的でした。(当時17歳)

 

 

 

当時の審査員の英国ロイヤルバレエスクールのお偉いさんが、熊川さんを見るなり「あの子はウチに欲しーい」と言って、そのまま、さらって行ってしまったとか(笑)。

 

その熊川さんも、今ではローザンヌの審査員を務めるようになりましたから。時の流れは・・・

 

(YouTubeで熊川さんと大ちゃん(高橋大輔さん)の対談があって、楽しいです)

 

 

時々、浅田真央さんがバレエを選んでいたらどうなっていたかな?と考えることがあります。

上野水香さんのようなソリストに成長していたかも。あんなイヤな思いも、しなくて済んだろうに。

 

(バレエのコンクールは、審査員はすべてダンサーや教師などのバレエ関係者で、不正採点は、ほぼ無い)

 

しかし、そうすると『弟』との出会いもなかったし、お花畑の日本人(自分も含めて)が、隣の国の汚さに目覚めることもなかった。

 

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いろんな因果が積み重なって、今があるということです。

 

フィギュアスケートを愛してくれて、ありがとう、真央さん。

 

(偶然ながら熊川さんと松浦さん、二人が踊ったのが共に『ドン・キホーテ』のバリエーション。

あのアリーナ・ザギトワちゃんのFSも『ドン・キホーテ』でした。

風車に突進するドン・キホーテは、タロットの『愚者』そのものですね。白紙に返る、リスタートの印?)

 

 

松浦さんが今後、一層の研鑽をつまれ、「まことの花」を咲かせるように祈っています。

 

 

世界で勝負する若きサムライたちに、幸多かれ。

 

 

 

悪しきものを祓いたまいて、常に正しきことを行わしたまえ

 

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

皆さまがお幸せでありますように。