こんにちは。夢の宮へようこそ。
管理人のEki-MAJOです。
ここ数日、家の蔵書を整理しておりました。
南北朝こそ日本の機密 現皇室は南朝の末裔だ (落合秘史) Amazon |
これを再び見つけて、夢中になって(仕事の合間に)読んでおりました。
落合莞璽氏は知る人ぞ知る作家で、
独自の明治天皇すり替え説を展開する作家でもあります。
始めて読んだ時は、トンデモ説と思って読み流しておりましたが、現皇室の有様を見ると・・・
現皇室は、実は南朝の子孫。
北朝と南朝は密かに両統迭立の状態を終わらせるべく、
北朝に後醍醐天皇の長男、大塔宮・護良(もりなが)親王の血筋を迎え入れた。
受け皿の伏見宮家は特別な宮家で、第二の天皇家でもある存在。
いざという時に、天皇のスペアとなるべき家柄だった。
落合莞璽氏の説はヨーロッパまで及ぶので、ついて行けなくなって放置していましたが・・・
天皇と金融ワンワールド・・・、嗚呼、スイスの天皇資産の問題と繋がりそう・・・!
(落合氏は金融関係の仕事の予想で『落合筋』と言われて有名な方だった)
実は私は、大塔宮・護良親王が密かに好きだったもので、まさかこんなところで護良親王の
お名前を目にしようとは思っておりませんでした。
護良親王を明治になってからお祀りしたのが、神奈川県鎌倉市の鎌倉宮です。
(建武復興十五社のひとつ、近年ではアジサイの密かな名所になっているそうです。
鎌倉のおすすめスポットのひとつ)
鎌倉宮
でれでれ草様より
伏見宮と言えば・・・、
貞明皇后(大正天皇皇后)とお妃の座を争ったのが伏見宮家の禎子(さちこ)女王。
貞明皇后という女性もアヤしくなってきましたね。
(九条節子(さだこ)と貞明皇后は別人物で途中で入れ替わったとか、
朱貞明という女性が貞明皇后の母親だとか)
伏見宮禎子様が退けられた理由が、健康問題ですが、
何も皇后ご自身が世継ぎを産む必要はなかったはず。
天皇が側室をもてばいいだけのこと。現に昭憲皇太后は男子に恵まれなかった。
大正天皇生母は権典侍・柳原愛子(なるこ)です。
実際、禎子様は後に土佐山内家に嫁がれますが、お子には恵まれませんでした。
(ご養子を取られた)
貞明皇后以後、何故か天皇に側室を持たさなくなってゆくんですね。
2016.08.06
明治大正期の貴重な証言 原武史
女官に嫉妬する皇后というのも、いただけない感じ。
武家の女性でも、世継ぎのためには側室を差し出したりするのに、
公家の女性なら、なおさら騒ぎ立てないでしょうに。
(『源氏物語』の紫の上のように、穏やかに収めるのが公家風のやり方ではないのか?)
「天皇があられたればこそ、皇后になられたのですから。」
まるで、現在の菊のカーテンの向こうにおられるどなたか様を言っておられるかのよう!
(関係ないのかもしれませんが、近年NHK大河ドラマの主人公(男性)の条件が『側室』を
持たないことになっているらしく、それが大河ドラマがつまらなくなった理由のひとつらしい)
そして、落合氏の説で一番のキモは《裏天皇》(國體天皇)というべき存在。
表と裏か、なんか気になる・・・!
(そして、落合氏の説では、護良親王も孝明天皇や陸仁親王も死んでおらず、
生き延びて裏天皇になっている!)
どうもお若い頃から、二人以上の文仁親王がおられるんでないかと思っていましたが。
まさに《表と裏》システム。
黒髪の宮様から『オーラ』が消えたのは、こういう昔話をご存知ではないですか?
コボルトについて
嘘をついたことで王に藁を黄金に変えるよう無理難題を命じられた娘の前に、奇妙な小人(原文ではコボルト)が現れる。彼は藁を黄金に変えることと引き替えに、娘に将来生まれる娘の子供を要求した。娘はそれを承諾し、黄金を受け取る。喜んだ王は娘と結婚し、やがて子供が生まれた。すると約束通り小人が現れ、子供を要求するが、娘が泣いて頼んだため、3日以内に名前を当てたら許してやると約束する。様々な名前を言う娘だが、いずれも違う。万策尽きた娘は四方に人をやって情報を集めるが、そのうちの一人が何者かの歌う歌が聞いたと報告した。
「ランペルスティルスキン(ルンペルシュテイルツヒェン) は明日になれば子供を手に入れる」
翌日、現れたコボルトに娘は名前を告げる。まさか当てられるとは思っていなかったコボルトは怒り狂い、力任せに床を踏み抜き、足を取られてしまう。そして引き抜こうと力を込めたが、足は抜けず、彼の体は真っ二つに裂けて死んでしまった。
(Wikipediaより一部抜粋)
似たパターンの昔話には日本の東北地方の、『大工と鬼六』があります。
正体を見破られたら、魔力が消えてしまうんですね、ヨーロッパの小人も日本の鬼も。
その一つの鍵が、名前。
『裏』の役割のひとつが身代わり、鎌倉宮には、『身代わりさん』と呼ばれる木像があります。
撫でものの一種で、(体の)悪いところをなでると厄を代わってくれるとか。
護良親王の身代わりになった武将を、こうしてお祀りしているのだそうです。
身代わりさん(鎌倉宮)
私は、検証能力が無いので、ダブル問題には極力ふれないできましたが、
鬼塚氏の説に落合氏の説を加えると、見えてくるものがありそうです。
(全部は受け入れられないにせよ)
いざという時に、皇室では替え玉を使うというのは、よくある手だったとすると・・・。
裏には裏の、役割がある。
それから、
・明治以降の神道は古神道とは似ても似つかないキリスト教をまねた神道。
(でれでれ草様の記事より抜粋)
確かに、明治になってからの国家神道は、古神道とは違います。
神仏習合していたものを、無理やりに神道と仏教を分離させたので、
日本古来の宗教のあり方が分からなくなってしまっている。
明治政府は、古式の神道の祭祀を廃止させた、その一例が諏訪大社の御頭(おんとう)祭。
75匹もの動物(鹿や猪)を殺して、その頭部を神にささげる。
明らかに縄文の生贄祭祀の名残なのですが、廃止させたので、
意味が分からなくなってしまった。諏訪大社には謎が多い、あの御柱祭もよくわからない。
それから、陰陽師たちを密かに弾圧した。
これも古神道が伝わるのを妨げるためだと思うと納得できる。
それから、祝詞の奏上の仕方からして違う。
本来、祝詞は「歌うように美しく」奏上するものだそうです。
イスラム教の詠唱(アザーン)や仏教の声明のように。
そういう技術は神道から、現在ほとんど失われてしまいました。
和歌の詠唱(百人一首の歌の読みや宮中の歌会始など)で見られるように節をつけて祝詞は奏上されるものでした。
(あの『君が代』も和歌であり、祝詞でもあります)
屋外で祝詞をあげる時は、風の音や虫や鳥の声にあわせて美しくハーモニーを奏でるように奏上するのがコツです。難しいですが。
上手くゆくと神様が喜んで《しるし》をくれます。
風が吹いてきたり、曇っていたのが晴れてきたり。
神社の宮司さんでも時々、祝詞を奏上するのが上手い方に会うとラッキーです。
朗々とした美声で、祝詞を奏上して下さる宮司さんって、今ではめったにいないですから。
明治維新から始まる計画・・・、日本を取り戻すのはかくも大変なことだったとは。
現在の首相が(明治天皇にすり替えられた大室寅之助から始まるとされる)
田布施システムの『末裔』、安倍晋三というのも出来過ぎているか。
山口県の総理大臣展ポスター
自分は陰謀論には興味が無いほうなので・・・、これ以上はご勘弁。
考えを整理中です。よろしければ落合莞璽氏の著作、一度読まれてみて下さい。
私が出来ることはすべてを明らかにして欲しいと八百万の神様に祈ることしか出来ません。
とおかみえみため
あまてらすおほみかみ
悪しきものを祓いたまいて、常に正しきことを行わしたまえ
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さまがお幸せでありますように。
コメント
コメント一覧 (12)
コメントありがとうございます。
『日本の黒い霧』様のブログにもありましたね、最近更新がされてないので、心配です。
《裏》は天皇家のイザという時の危機管理システムと思えば、不思議はないですから。
人間には、興味ないことは、ないことにしてしまう心理があって(ストコーマ=隙)、
興味ないなら気づかない心理を上手くついていると、感心します。
それを『悪用』してやり過ぎたなー、ミテコズ。
今年は不思議とやり過ぎた女に、しっぺ返しがくる年でしたね。ミテコズに小池百合子。
明治以降、何故か伏見宮系は冷遇されて。
だから、旧宮家(すべて伏見宮系)の男系男性の皇族復帰は必須と思っています。
Eki-MAJO
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あらゆる角度から皇室の闇が照らされていく感じがします。べつに影武者がいても不思議はありませんが、ミテコはやり過ぎましたね。国民の不信を買い、次から次へとボロを出しています。代々の貴賎結婚まで暴露され、今の皇室は目を覆う惨状です。情報統制が効かない時代になったのが救いですね。
Eki-MAJO
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コメントありがとうございます。
そうです、経箱だったか、衣装箱だったかに身を隠して間一髪、助かった方です。
建武中興が、ある程度まで上手くいったのも、護良親王が各地に檄文をとばしたり、楠正成とゲリラ戦を展開していったお陰です。
(そういう息子を見捨てる後醍醐天皇って、ヒドい天皇でオヤジです)
だからこその皇居の楠正成像なんでしょうけど。
もうすぐ(私が)ブログを始めてから半年!今年は凄い年だった。
お気づかいありがとうございます。マイペースで続けてゆきます。
Eki-MAJO
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コメントありがとうございます。
鎌倉は、霊感がある人だとツラいらしいです。
いろいろと因縁があり過ぎて・・・
季節外れですが、紫陽花と寺社の取り合わせは似合いますね。
Eki-MAJO
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お家の整理でいちばん手を付けやすいのは、本棚でしょうか。
でも、整理中に読み返すと今考えている事のヒントになったりして、偶然に驚きます。
大塔宮さんは「蓋の開いている経箱を選んで身を隠し、難を逃れた」親王殿下でしたでしょうか?(記憶違いだったら すみません。昔、何かで読んだ気が。)
咄嗟に判断して命拾いするなんて、カッコいいですね。
充電も大事です。ご自愛ください。
Eki-MAJO
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Eki-MAJO
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詳しくありがとうございます。
確かに、九条節子様と貞明皇后とは別人と考えた方がよろしいのかも。
昭和天皇まで・・・ショックです。
落合莞璽氏の《裏》システムを考えると、
天皇家にはもともと危機管理のための《裏》があったのかな、と。
それを『悪用』したのが、ミテコとナルさんズで、という風に考えればいいのかな、と思うようになりました。
第一次大戦が継続中とのこと、確かに第0次大戦は日露戦争でした。
いろいろとこれからも出てくるかもしれません、覚悟いたしましょうね。
Eki-MAJO
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× 4枚目の陛下は、なんとなく、前後の見慣れた陛下の様に思います。
↓↓↓
○ 4枚目の陛下は、なんとなく、戦後の見慣れた陛下の様に思います。
失礼致しました。
Eki-MAJO
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最初の十二単の瑞々しい九条節子さんと、
その下からの洋装と、お年を召されてからの
“おすべらかし”の貞明皇后は、
どうも肩のラインが違うように思います。
お顔の印象も違いますが、
十二単姿では姉様人形の様ななで肩です。
洋装の方は元より、
40~50代と思われる“おすべらかし”姿の方は、
明らかに肩がはっています。
それと‥‥‥、
同じサイトでの昭和天皇と良子様の
ご成婚後の比較的お若い頃のお写真ですが、
http://omugio.exblog.jp/17398122/
このページには4枚のお写真が載ってあります。
3枚目と4枚目をご覧下さい。
①3枚目と4枚目の昭和天皇陛下の頭身がおかしくないでしょうか?3枚目の陛下は、モデルになれるくらいの頭身と思われます。
4枚目の陛下は、なんとなく、前後の見慣れた陛下の様に思います。
②3枚目の良子様は椅子に浅く腰掛けていらっしゃいますが、良子様が椅子から立ち上がっても、お立ちになられている陛下の肩か、肩より少し上辺りまでのお背丈と思われます。
4枚目の乳母車に寄り添う両陛下の身長差はそこまでは無く、昭和天皇陛下より5㎝くらい低いくらいでいらっしゃる様に見えます。
この身長差は???
③1枚目と3枚目の昭和天皇陛下は、
アゴが少し小さく、たらこ唇気味の戦後の陛下とはちょっと違うお方に思えます。
4枚目の方がたらこ唇気味なので余計その差が感じられます。
修正されてあるのかもしれませんが、
3枚目の写真の陛下は、明らかにたらこ唇気味では無いと思います。
この写真から気づいた事は、昭和20年代~40年代の昭和天皇陛下のお写真で、
大変失礼ながら、、、そう言えば妙に不細工なお顔のお写真がありました。
その内の1枚が、何度か皇室掲示板にも上がってましたね。
あるサイトで、世界大戦は第一次からでは無く、
アメリカの南北戦争が第一次世界大戦の始まりであり、「第二次」なんて言うのは無く、
第一次世界大戦がずっと継続中なのである‥‥
と有りました。
その前哨戦と言うか、実験がフランス革命なのだと。
本当に、今年は様々に視点が変わった年になりました。
Eki-MAJO
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コメントありがとうございます。
大正時代って、短かったけど、良い時代でした。
日本人が初めて豊かさを知った時代というか。高橋是清の経済政策が当たって、日露戦争の大借金を着実に返して
大正デモクラシーや大正ロマンの花が咲いて・・・。
(『花子とアン』や『マッサン』そのまんま)
なのに天皇が・・・ってあり得ない話でしょう。
天皇ご自身は漢詩の大家であられたそうですし。
立派な方と言われている女性は、疑いの目で見ないといけないというのは悲しいことです。
諏訪大社は、ユダヤとの繋がりが云々されるくらい古くて謎の神社。
もちろん、イスラムとユダヤ教は《親戚》状態だから繋がりがある。
神社のご神体って、形がないことも多いですよ。石上神宮は背後の山がご神体。
人の(神様を崇める)気持ちが、ご神体なのかなと、思う時があります。
Eki-MAJO
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私も、皇室や政治の歴史について勉強したいと思い、いろいろ本を読み始めましたが、天皇のエピソードについて、大正天皇については疑問をもちました。大正天皇は、生まれつき体が弱いといわれていましたが、実は、乗馬、射撃、シャワーの冷水浴は行っていて、伊勢の二見が浦で水泳をされていていて、寝たきりになるほどの病弱ではなかったんだとか。それが、なぜか天皇になると坐骨神経痛になったり、糖尿病が酷くなって、言語も不明瞭になってきたというのです。いくら時代背景が大変なもので大正天皇がストレスにさらされていたとしても、誰かが何かしたとしか思えないんですよね。そして、大正天皇にも、ダブルもいたのかもしれないと思いました。
(ちなみに、脳病があり、成績も不良であるといわれていましたが、でれでれ草様のお話によれば、大正天皇は、優れた和歌をおつくりになっていたそうです。)
でれでれ草様のところで読んだ、鬼塚史観による、貞明皇后に関しては、目から鱗でしたが、最近「大正の皇后」(植松三十里)という本を読んでみましたら、なんと、大正天皇に嫁ぐ際に「お父様の、出世のための結婚なんて嫌!」という記述があるんですよ!
著者の想像があるにしろ、NHKの朝ドラヒロイン風に描かれている貞明皇后の姿は、ミテコや雅子さん、信子さんとも被る部分があるなぁと思ったし、実際そういう背景があったのかもなぁと感じました。
イスラムと神道のつながりは、とても興味深いですよね。松岡正剛氏によれば、神社の造りは、中心に行けば行くほどシンプルになっていき、御神体と呼ばれるものは小箱に入っている石だったり、櫛、鏡があるだけで、実際には、御神体そのものが「ないに等しい」といわれています。
イスラム教は、マホメットの顔を表してはいけないとして、顔を描写しないといいますし、不思議です。
そして、神道とイスラムをつなぐのがユダヤにあるように思いました。(藤本ひとみの「ハプスブルグの宝剣」より)
長文失礼いたしました。真実を明らかにしてほしいことは、もちろんですが、今年から、大きな日本のお掃除が始まりそうです。
Eki-MAJO
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