こんにちは。夢の宮へようこそ。

管理人のEki‐MAJOです。

 

熱田神宮つながりで、忘れてはいけない歴史上の人物の人物がいます。

それが、このお方

絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵) wikipediaより

 

 

父は源義朝、母は熱田神宮大宮司の娘(由良御前)

熱田神宮の近くには、源頼朝生誕の地の石碑があります。

 

『この国のかたち』(グランドデザイン)を決めた、不世出の大政治家だと思います。

そして彼の作った『この国のかたち』の上で、我々は今も生きている。

 

『逆説の日本史』で知られる作家の井沢元彦氏は、源頼朝を『奇跡の人』と表現していますが、

確かに奇跡的な幸運児です。

いぶせき流人から天下様へと・・・豊臣秀吉と肩を並べるクラスの。

 

平治の乱で父、義朝が敗死した時、嫡男だから殺されても仕方なかったのですが、

なんと平清盛の継母の命乞いで助かったというラッキーな男です。

出家も強要されなかったのだから、本当にラッキーです。

そして、伊豆の蛭が小島に流罪になったことが、彼の更なる幸運でした。

ここで、東国武士たちの暮らしと、武士たちの朝廷に対する不満を知ることになります。

 

そして、旗揚げと同時に、武士たちと都の調停役(鎌倉殿)を買って出ることになります。

 

 

彼の凄いところは、朝廷のシステムには全く触らず、武家の支配機構を固めてしまったという点です。

源頼朝以降約800年の間続いた、実際の政治(まつりごと、仕置き)は武家担当、

朝廷、天皇家は祭祀担当という日本型住み分けシステムを完成させてしまいました。

(歴史上、朝幕併存体制と呼ばれています)

 

明治維新で武家の時代は終わっても、このシステムは不変のままです。

今も政治は内閣担当、祭祀は天皇が担当しています。

 

時々、この住み分けシステムに反抗して、天皇親政をやりたい《跳ね返り》の天皇が現れてきましたが、すべて失敗に終わりました。

 

天皇ご謀反(または主上ご謀反)というわけのわからない呼び方の『乱』です。

(承久の乱と正中の変など)

 

「明智日向守様、ご謀反!」と時代劇で森蘭丸が叫ぶ、謀反の意味はこの使い方が正しいのです。

謀反は下位の者が上位の者にたくらむ反乱ですから。

 

『天皇ご謀反』とは、これ如何に。

日本でこれ以上ない地位のお方が企む謀反とは?

 

それは、頼朝が始めた日本型住み分けシステムに対する『謀反』だったのです。

気づくのに十年以上かかってしまった。我ながらバカなだなぁ。

 

明治維新も負けていれば、天皇ご謀反の例になったかもしれません。

しかし、明治天皇には親政の御意志はありませんでした。(だから、成功したのかも)

 

 

学校で歴史を習ったとき、こんな疑問を抱いた方はいないでしょうか?

「なんで、源頼朝は、鎌倉幕府を開いた後に天皇家を滅ぼさなかったんだろう??」

私も、思っていました。

神道を勉強して始めて、その訳が分かったのです。

頼朝は清和源氏を名乗っています。

清和源氏とは、清和天皇の子孫が源性を名乗って地方に在住するようになった人たちのことです。

つまり、先祖は天皇家!滅ぼせる訳がないんです。狭いニッポン事情は昔からです。

 

ローロッパでは王朝が変わると、時に民族・人種まで変わってしまうから、

前王朝を滅ぼすことは当たり前だし、躊躇はない。

(フランス革命でも支配者が国王からジャコバン派に変わったと考えれば、国王処刑も正当化できる)

 

でも、日本ではそれは出来なかった。

当たり前です。先祖をたどれば、どこかで繋がってしまうような狭い国なんですから。

マルクス史観では、日本史は完全に理解できません。

 

 

その証拠に頼朝は鎌倉に本拠を定めた後に、一番にしたことは、

低い場所にあった鶴岡八幡宮を現在の位置に移したことです。

鶴岡八幡宮を御所に見立てて、鎌倉の町は都市計画がなされています。

鎌倉は狭いので、京都のように碁盤の目のようにはならなったのですが。

臣下でしかない自分は、遠慮して鶴岡八幡宮の向かって右側に自らの住まいと政庁を設けました。

(鶴岡八幡宮の向かって右側にある清泉小学校が頼朝の政庁兼住まいだった大倉幕府跡)

八幡神は皇室の先祖神であるのは、以前の記事でも書いています。

 

 

後白河法王をギリギリと締めあげた頼朝は、一方でこんなことを言っています。

「倫命(りんめい)に違背(いはい)するの上は、日域(にちいき)に住すべからず」

(天皇の命令に従えぬのなら、日本から出ていけ!)

 

頼朝がいう天皇は、幼い後鳥羽天皇でした。

我がままでしたたかな後白河法王に対しては、容赦しなかった頼朝でしたが、

一方で、天皇の命令は絶対だと言っている。

(『日本一の大天狗!』というセリフは、後白河法王に対する強烈なイヤミです)

 

後白河法王

 

これは現在も矛盾しません。

安倍総理も、我がままで(天皇ご謀反を企む)今上には特例法で容赦なく締めあげ、

次代の天皇である文仁親王をさり気なく守っています。

(安倍総理には、現代の《頼朝》になってほしいと念じています)

 

 

これだけ優秀な人でしたが、彼の子孫たちは不幸でした。

よく知られているように、源氏は三代で滅んでしまいました。

あまりにも強運な人は、子孫に運が伝わらない。これもセオリー通り。

 

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『右大臣実朝』 松岡映丘 画

頼朝の次男、悲劇の将軍・源実朝

 

彼は面白い人で、スピリチュアルな才能(?)がなかなかあった人のようです。

一時期、私の行くところ、頼朝が祈願したり、社殿を修復させたり、

という寺社ばかりに当たっていました。

それが、的確なご利益の神社にちゃんと祈願している。

母方が熱田神宮大宮司家だから、そういう知識・知恵が彼に伝わっていたのでしょうか?

都から陰陽師を呼び寄せ、鎌倉の街づくりを任せたとも聞いてします。

(鎌倉は有名な心霊スポットですが、鶴岡八幡宮の周辺は一切怪しい気配がない。

陰陽師の結界の賜物でしょうか)

 

 

源頼朝は伊勢神宮で、個人の祈願を行った歴史上唯一の人物だそうです。

(某神社の宮司さんから聞きました)

伊勢神宮は国家の安寧を願う社で、基本個人の祈願は受けない。

しかし、そこで自らの武運長久を願ったそうですが、

彼の直系の子孫は、孫の代で女子も含めて断絶しています。

しかし、武家の時代はその後約800年にわたり続くことになります。

 

余談ですが、安倍総理は昭恵夫人との間にお子さんがいない(甥御さんを養子にしていますが)。

安倍総理が堂々「日本を取り戻す」と言えるのも、お子さんがおられないせいもあるような気がします。

 

(伊勢神宮正宮では個人的なお願いよりも、お参りできたことの感謝を伝えるといいでしょう。

もしお願いしたい場合は、別宮の内宮では荒祭宮で、外宮では多賀宮でお願い出来るそうです)

 

 

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伝源頼朝像 顔部分 出典:http://www.kyohaku.go.jp/jp/index.html

 

この肖像画、一度だけ展覧会で、実物にお目にかかったことがあります。

ノーブルないい男でした。

切れ長の冷ややかな光を宿す目が、実に印象的です。(まさにクール)

最近では頼朝ではなく、足利尊氏の弟の直義ではないかという説が有力ですが。

よく見ると頭が大きく、立った時のバランスがコワいような気もしますが(笑)・・・

(実際、頭が大きく乗馬が苦手で、落馬で死んだ説もなるほどとうなずける)

 

 

武将というより天性の政治家だったのですね。

天性の軍人、異母弟・義経との対立もやむをえない成り行きでしょうか。

 

 

 

何故か、私的に頼朝との縁があり、彼については書かないといけないなぁと思っています。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

皆さまがお幸せでありますように。